韓服は、決められた衣装を着せられるものだと思っていました。
けれど実際には、自分で選ぶスタイルの貸衣装屋さんで、壁一面に並ぶ服の中から好きなものを選ぶ方式でした。
色とりどりの刺繍や、華やかな配色の衣装が並ぶ中で、私が手に取ったのは、簡素な黒の上下と帽子でした。
意識して控えめなものを選んだというより、気づけばそれが一番しっくりきた、という感覚に近かったと思います。
着替えを終え、鏡の前に立った自分の姿は、想像していた「韓服姿」とはずいぶん違っていました。
華やかさよりも静けさが先に立ち、どこか役割を帯びたような佇まいでした。
あとになって知ったのですが、その衣装は、昔の時代における**「あの世の役人の制服」**にあたるものだったそうです。
その説明を聞いたとき、なぜか驚きはありませんでした。
この旅での自分の立場――主催する側でもなく、案内する側でもなく、ただ招かれ、流れを受け取り、そこに居る。
その在り方と、不思議なほど重なって感じられたからです。
かつて生活していたこの街を、今は“通り過ぎる存在”として歩いていること。
前に出るのではなく、後ろに控え、見守る側に立っていること。
黒い韓服に袖を通した自分は、その象徴のようにも思えました。
自分で選んだはずの衣装が、あとから意味を帯びてくる。
そんな体験もまた、今回の旅らしい出来事でした。
韓服を脱ぎ、いつもの服に戻ったとき、どこか名残惜しさを感じました。
けれどそれは衣装そのものではなく、役割を持たず、ただそこに居るだけでよかった時間への名残だったのだと思います。
かつて働き、暮らし、責任を背負っていた場所を、招かれる側として歩く。
その立場に静かに身を置けたことを、黒い韓服がそっと教えてくれました。
韓服を脱いだあとも、この旅はまだ始まったばかりでした。
