祝われる日と、覚えられていた店

旅の2日目が、偶然にも私の誕生日でした。

特別な予定があるとは思っておらず、いつもの団体行動の延長として席に着いていたところ、食事の終盤で、静かに場の流れが変わりました。
韓国支社で共に働いた人たちも含めて、40人ほどが集まる席で、ひとつの記念品を手渡されました。

盾の表には、「私たちの社長へ」という言葉から始まる短いメッセージが刻まれていました。

読み上げられるわけでもなく、説明もありませんでした。
ただ、そこに刻まれている言葉を目にした瞬間、長く積み重なってきた時間が、ひとつの形として差し出されたように感じられました。

この場で涙を見せるつもりはなかったのですが、不覚にも、言葉を返せなくなってしまいました。

誕生日という日付よりも、
「今もこうして集まってくれる関係が残っている」という事実のほうが、強く心に残っています。

3日目には自由時間がありました。
その時間を使って、前回の訪韓で立ち寄ったタコキムチ屋を再び訪ねました。

以前、その店の社長が、私と家内を東大門のタッカンマリ店まで歩いて案内してくれたことがあり、そのお礼を伝えたかったのです。

店に入ると、社長は私たちのことを覚えていてくれました。
「タッカンマリは、美味しかったですか?」
そう声をかけられ、短い会話を交わしました。

誕生日の席とは違い、特別な言葉も演出もない、ただの再会でしたが、
この旅が“祝われる側”であると同時に、“戻ってくる側”でもあったことを、あらためて実感する時間でした。

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