その言葉を聞いたのは、
いつもの昼のカムジャタンだった。
特別な話をしていたわけではない。
仕事の合間の、取りとめのない会話の流れで、
同僚の一人がふと口にした。
「私たちは食口ですよ」
食口(しっく)。
同じ釜の飯を食べる人。
生まれた国は違っても、
家族のように絆の深い関係を指す言葉だと教えてくれた。
そのときの私は、
なるほど、と思いながらも、
正直なところ、完全には理解できていなかったと思う。
職場の仲間。
信頼している同僚。
一緒に働き、一緒に昼ごはんを食べる関係。
それ以上でも、それ以下でもない。
仕事では判断する側にいることが多かったが、 昼の時間だけは、 同じ一人分として席に座っていた。
当時は、そういう感覚だった。
週に一度、ほぼ決まった曜日。
同じ顔ぶれで、同じ店に入り、
大きな鍋を囲んでカムジャタンを食べる。
仕事の話をする日もあれば、
ほとんど何も話さず、黙々と食べる日もあった。
無理に盛り上げることもなく、
沈黙を気にすることもなく、
「今日はこれでいい」と思える時間。
振り返ってみると、
あの昼食は、ただの食事ではなかったのだと思う。
韓国での暮らしを終えて、6年が過ぎた。
今になって、
あのとき聞いた「食口」という言葉を、
ふとした瞬間に思い出すことがある。
同じ鍋を囲んでいた時間。
言葉が完璧でなくても、
距離感を探りながら過ごした日々。
気づかないうちに、
関係は少しずつ深まり、
いつの間にか「一緒にいるのが自然」になっていた。
それを、
彼らは最初から「食口」と呼んでいたのかもしれない。
家族とは何か。
絆とは何か。
大きな言葉で語る必要はなくて、
同じ時間に、同じものを食べ、
同じ一日を終える。
それだけで、人と人の関係は、
思っている以上に深くなるのだと、
今になって思う。
あのときはよく分からなかった言葉が、
時間を経て、静かに腑に落ちてくる。
「食口」。
それは、
韓国で過ごした日常の中に、
確かにあった関係の名前だった。
※本記事は、韓国駐在中に実際に体験した内容を基に、現地生活や異文化理解の参考情報としてまとめたものです。

